食事の前の「美味しそう」
先日、某インターネット動画サイトにおいて、
「おおきく振りかぶって」が期間限定で公式配信されていた。
高校野球を題材とした作品の中で、
この作品が一番好きだ。
原作は途中までしか読んでいないし、
アニメの配信も期間内に最後まで観ることができなかったという、
その程度の、好き。ではあるけれど、
好きというのは確かだ。
そのアニメ配信を観ていて、
印象に残ったシーンがある。
合宿の食事シーン。
食事を前にして、部員みんなで「美味しそう!」と叫ぶ。
ヨダレを垂らしながら、
目をキラキラさせながら、
「美味しそう!」と叫ぶ。
そして、ものすごい勢いで
ご飯をかきこむ。
反射を鍛えるだか、
集中力を鍛えるだか、
確かそんな感じの目的だったと思う。
御飯にだけ向き合って、
美味しそう!と思いながら、かきこむのも、
たまにはいいかもしれない。
是非そうしたい。
「趣味:読書」の消滅
「趣味は?」と尋ねられたときに、
「読書」と回答する人を見なくなった。
もともと、そんな人は多くなかったのかもしれないし、
明確な趣味を持たない小学生や中学生だけが多用する回答だったのかもしれない。
いずれにせよ、ぼくの周りでは見かけない。
かつては「趣味:読書」と答える人が一定程度いて、
今は減った、という設定のもと、
その理由を考えてみる。
一つ考えられるのは、
とてもシンプルな理由として、
実際に本を読む人が減った、ということだ。
スマホがあるし、娯楽は豊富だし、
本なんて読まなくても何の問題もない。
たまに読む本は、資格取得や仕事のために読むもので、
娯楽として、趣味として読むのとは違う。
本を読むのには、多かれ少なかれ、
まとまった時間と、本を読む環境が必要になる。
娯楽が多様な現代において、そんなコストを支払ってまで、
本を読む必要がなくなり、実際に読まれなくなった可能性はある。
もう一つ考えられるのは、
「趣味:読書」=「無趣味」
という考えの浸透である。
これは「趣味:映画」にも当てはまるかもしれない。
特段の趣味を持たない場合に趣味を尋ねられたとき、
最も無難で当たり障りのない回答が「読書」であるが故に、
その回答をした時点で、
無趣味で面白みのない奴というレッテルを貼られる危険がつきまとう。
この結果、本当は「趣味:読書」であったとしても、
少しオシャレな、話を続けやすそうな趣味を用意し、
それを回答とする。
本を読む人が増えようが減ろうが、
趣味を読書と言えようが言えまいが、
何の問題もなく、何の支障も生じないのだけれど、
「実態としてそうであること」と、
「回答として示されること」との間には、
何となく差がある場合もあるような気がして書いてみた。
おしまい。